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Death of Harvey Ball

「スマイリー・フェイス」と言えば「モナリザ以来の笑顔」として全世界で知られている有名なマークです。日本でも70年代に大ブームがあり、現在でも小学生からお年寄りまで知らない人はいないほど有名です。

この偉大なマークを創作・著作したのが米国人「ハーベイ・ボール」氏です。これほど全世界の、そして日本人の「心を豊かに」したマークはありません。 しかし残念なことに彼は2001年4月12日に死去され、永遠の人となり、そして伝説の人となりました。彼の生涯は「スマイリー・フェイス」そのものであり、無欲で、自分の利益より「スマイリー・フェイス」がいかに全世界の人々から愛され、「心を豊かに」するかを考え続けた人です。その為、自分の利益のみを考えず、自分の「権利の保護」等について無頓着な人でした。他人が彼を「人が良い」「金儲けが下手だ」等の非難をする事も多くありましたが、彼の人生はそれとは別に大変充実したものだったと聞いています。それは彼の心が充実していたからに違いありません。彼の希望は全世界の子供達と「スマイリー・フェイス」と一緒に「笑い」「喜び」「楽しむ」事だったからです。

彼が1963末に創作したこの「スマイリー・フェイス」が、全世界の人たちに大きな働きをした事はよく知られています。その印象は「可愛い」「キュートだ」とあらゆる女性や子供達にもてはやされ、時には「ベトナム戦争」の「反戦のマーク」として多くの若者達の支持を得ました。その時期には戦場のアメリカの若者と「反戦」を唱えるアメリカの若者の両方から受け入れられた事でも有名です。このようなマークは決して「一デザイン」や「一マーク」に留まらず、戦後の半世紀近い歴史と文化を支えた貴重な存在です。その事を考えると、これほど全世界の人々に一人のクリエイターが影響を与えた著作物は無かった筈です。

2001年4月12日は彼が死去された日です。しかしそれは78歳の彼の「スマイリー・フェイス」を求めた充実した人生の終わりであり、又新しく永遠の人となり、伝説の人となり、全世界に大きく輝く日の出発となった日かもしれません。日本人を含めて全ての世界の人々がこの彼の創作した「スマイリー・フェイス」により勇気付けられ、又平和を求める元となる事が彼の永遠の願いでした。

2001年、彼の子息「チャールズ・ボール」氏を中心に、アメリカ連邦政府、マサチューセッツ州、ウスター市が共同で、「ハーベイ・ボール・ワールド・スマイル財団」が設立され、彼の希望は更に大きく全世界に向かって活動されようとしております。日本人であれば、自分達が生きた過程でこの「スマイリー・フェイス」によって必ず勇気付けられた事を記憶している筈です。

日本人の全てが彼の偉業を無駄にする事なく、現在の日本の国家が直面している困難な時期を乗り越える事を彼自身が望んでいるのではないでしょうか。





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