1998年8月3日付「PEOPLE誌」記事

ライバルのフランス人の主張も、世界に「ハッピー・フェイス」を送り出したアメリカのデザイナーの喜びを奪うことは出来ない。
去る1963年、グラフィック・デザイナーの「ハーベイ・ボール」氏はマサチューセッツ州ウスター市の「ステート生命保険」から、従業員のモラル向上の為に明るいマークを創作して欲しいとの依頼を受けた。現在77歳のボール氏は2つの目と曲がった口を描き、黄色で彩った。「完成まで数分しか掛かりませんでした」とボール氏は当時を思い出す。
「ハッピー・フェイス」はこのようにして誕生した。ボール氏は報酬としてたったの45ドルしか受け取っておらず、「ステート生命保険」はこのマークを商標として登録しなかった。70年代初頭には世界中の会社により、彼の明るいマークが下着から灰皿に至るまでどこにでも付けられるようになっていた。ボール氏はその様子を何十年間も静かに見守っていた。しかし今年になって、ボール氏はフランスのビジネスマン「□□□□(○○○○)」氏が「自分が1971年にほぼ同一のマークを独自に創作した」と主張し、世界80ヵ国でこの有名なマークの商標登録を行った事を知った。ボール氏は、「彼がアメリカにやってきて、自分の創作だということは迷惑です」「スマイル・フェイスを金儲けに利用し、世界的な支配を押し進めている事にも反対です」と語った。
一方、現在55歳の□□□□氏は「ボール氏がスマイリー・フェイスをデザインした事が事実だとしても、自分は全く気にしない」「私は誰が商標を所有しているか(自分自身である)ということにしか関心を持っていない」「自分達の仕事は宣伝する事と、商標を所有する事と、商売として成功させる事だからだ。」と語った。
ウスター市に75歳の妻ウィニフレッドと4人の子供と共に住んでいるボール氏の望みは、これまでの記録の誤りを訂正する事だけである。第二次世界大戦中、彼は何とか沖縄での日本人の砲撃の中を生き延びた。「戦争が起こって周りにいる人が殺されたら、人間の価値観というものは基本に戻ります。『生きている』という風に」彼は語り、更に続けた。「私は全世界にスマイルを広めたのです」